ex-TYPIST

元TYPIST,現Therapist(予定)

スペインのウェス・アンダーソン/オーソン・ウェルズのスペイン(2021年10月)

ウェス・アンダーソンの新作『Asteroid City』はマドリッドから車で40分の町,チンチョンで撮影が行われている(2021年10月現在)。

www.screendaily.com

8月下旬の時点で,スペインの国内メディアによって,屋外に建設されたモニュメントバレー風のセットを遠景から撮影した写真とともに,撮影隊がチンチョンのパラドール(スペイン政府が運営する,歴史的建造物を利用したホテル)を借り上げており,町の飲食店のケータリングなども利用するため大きな利益をもたらしている,という報道があった。

elpais.com

たまたまチンチョンを車で通りかかる機会があったので,そのセットを探してみた。当然セットに通じる道は封鎖されており,かなりの距離からしか眺められないのと,スマートフォンのカメラで撮ったものなので画質等々そんなものではあるが。

遠くに見えるモニュメント・バレー風のセット。

よく見ると高速道路みたいなものもあり,単なるモニュメント・バレーの再現でもなさそうだ。

裏側。

セットのサイズについては以下の記事の画像が参考になる。(これによると『荒野の用心棒』や『スパルタカス』など過去に200本以上の西部劇や歴史劇がチンチョンを含むマドリッド州内で撮影されたらしい。)

www.niusdiario.es

いくつかの報道でも言及されているとおり,『Asteroid City』の撮影隊もおそらく西部劇か,あるいは西部劇のように見えるが西部劇ではないものを撮っているのだろう。

上にリンクを貼ったEl Paísの記事によると,チンチョンが選ばれたのは景観や物流,ウェス・アンダーソンがフランスに住んでいるため便利,そしてオーソン・ウェルズが『フォルスタッフ』とテレビ映画『不滅の物語』を撮影した町であったことが理由だという。後者ではこのマドリッド近郊の町をマカオに作り上げて撮影しており,その点で今回ウェス・アンダーソンがスペインで西部劇(のようなもの)を作ろうとする試みとも共鳴するように思う。

実はこの挿話を読むまでオーソン・ウェルズとスペインの関係をすっかり忘れていたが,彼が晩年まで挑戦し続けたものの未完に終わった作品はまさに『ドン・キホーテ』であり,また彼の遺骨はアンダルシアのロンダにある闘牛士アントニオ・オルドニェスの私有地に埋葬されている。

『フォルスタッフ』と『不滅の物語』はマドリッド近郊セゴビアのペドラサでも撮影され,『アーカディン氏』もまた同地で撮影されたようだ。『アーカディン氏』の邸宅の外観にはセゴビアのアルカサルが選ばれているし,先日別記事で触れたセゴビアの水道橋も出てきていた(完全に忘れていた)。

movie-tourist.blogspot.com

『フォルスタッフ』は他にもカタルーニャのカルドナ,マラガのコルメナル,マドリッドカサ・デ・カンポ,カスティージャ・イ・レオンのソリア,バスク地方でも撮影が行われたという。(この辺手元に文献がなく,英語版とスペイン語版のWiki情報。)

チンチョンは広場を中心に持つこぢんまりとした町で,'Asteroid City(小惑星都市)'という呼び名がしっくりくる。どんな映画撮ってるのかはまだわからないものの,ウェス・アンダーソンが好感を持つのもわかるような気がする,と勝手に思いながら歩いていた。

一方で,ハリウッドと悪戦苦闘し,しばしば不遇であったオーソン・ウェルズはチンチョンに,あるいはスペインの地に何を見たのだろうか。広場にはチンチョンで撮影した数々の映画のポスターが掲出されており,その中には久しぶりに見かける,だが一目でそれとわかるオーソン・ウェルズの姿もあった。

 

『ミツバチのささやき』撮影地,オジュエロス村へ(2021年9月)

バス

 マドリッドからまずはセゴビアを目指す。セゴビアまでは電車(Avantなど)も出ているが,バスも便利。地下鉄モンクロア駅の改札を出てバスターミナルに向かい,地下1階(-1階)の8番か9番から出る。けっこう時間ギリギリまで乗車案内がなくて不安になるが,時間になるとジェイソン・ステイサムみたいな運転手がやってきてチケットの確認を始める。チケットはスマホ画面で表示すれば問題ない。

 ちなみに,他の日本語のブログでセゴビアへのバスがプリンシペ・ピオ駅から発着しているという情報があったが,2021年9月現在,運行していないようだった。 バスの車内は日本の高速バスくらいにまあまあ快適で,座席に飛行機のようなテレビもついている。個人的にはAVEより楽に感じた。車内トイレは新型コロナウイルス対策と関係あるのか,使用禁止だった。モンクロアのバスターミナルのトイレは無料だし割ときれいなので先に済ませた方がよい。セゴビアのバスターミナルのトイレは有料。 マドリッドは車に乗るとすぐに郊外に出る都市で,もう少し走ると山々と牧草地が広がりはじめる。その辺に牛,馬。四角く積まれた藁。セゴビアまでは1時間20分。

 

セゴビア

 セゴビアのバスターミナルから街の中心に向かって歩いて,せっかくなので有名な水道橋は見学する。水道橋の上の方と同じ高さにまで階段ですぐに登ることができて,眺めもいい。この水道橋は街の真ん中にあるので,橋をくぐる通り沿いにたくさんのカフェがあり,お茶をしながら橋を眺められる。この水道橋は石を積むだけでできているという。つまり,石と石をくっつけていない。石と石が重さで噛み合う力だけで,古代ローマの時代から崩れずに残っている。登りながら,これが崩れるのはいつ,どんなときだろうか,と考える。

 

オジュエロス

 さて,オジュエロス村だ。セゴビアからオジュエロスまでは車で40分ほど。平日はバスも出ているらしいが,日曜なのでタクシーしかない。タクシーの停車場は水道橋のすぐそばにある。ここまで平然とHoyuelosを「オジュエロス」と書いているが,セゴビアでタクシー運転手に話しかけるまでは「オユエロス」村だと思っていた。しかし,スペイン語でyuの発音は「ジュ」と「リュ」の間にある「ジュ」として発音されているため,タクシー運転手に「オユエロス」と言ったら「オジュエロス」と返ってきた。オジュエロスに行って,降りて散策して,ここまで帰ってきたい。総額いくらでお願いできますか?運転手は何やら計算したのち,96ユーロで請け負ってくれた。今回捕まえたタクシーの運転手はたまたま英語がかなり通じたが,そうでない運転手も多いと思うので,ここの交渉が一番難しそうだ。とはいえ,Google翻訳を使ってクリアできないほどではないと思う。 タクシーは田園の中を走り続ける。正午過ぎだが,9月の日差しは真夏のそれに比べておとなしく,助手席も眩しくない。運転手が,あ,奥さんからだ,と断ってハンズフリーで電話に出る。「オジュエロス村に行くから昼ごはんには戻れないよ,夜はいつも通り,8時か9時に帰る」。ああ,スペインの働き方だ。

 彼は『ミツバチのささやき』は知らないという。でも,「他の運転手から,オジュエロス村に日本人を連れて行ったことがあると聞いたことがある」。日本人のなかにはこの映画がなぜかとても好きな人々がいるのだ,と説明する。彼は不思議そうな顔をする。 村が見えてくると,彼はこんなことを教えてくれた。「オジュエロスというのは,もともと『低い土地』という意味だ。だからオジュエロス村は,ああいうふうに,少し下がったところにある」。あとで調べると,Hoyuelosは英語で言うdimple,つまり「えくぼ」や「ネクタイのくぼみ(ディンプル)」にあたる言葉なので,こういう説明をしてくれたのだと思う。 あの入り口が見える。タクシーを降りる。やはり,映画の冒頭,フィルムを詰んだトラックがやってきたあの入り口だ。

映画を上映した建物。

アナとイサベルの通う学校(改装中)。

 マドリッドでもそうだが,スペインでは真新しい建物が本当に少ない。古い建物を改装してずっと使っていることの方が多いと思う。それがなぜなのか詳しくはわからないが,とにかくそういう風習が,ほぼ50年前の映画の撮影地を今,目の前に見せてくれている。 突然スピリチュアルな話になって大変恐縮だが,俺はこのようなことは個人の運や人間の叡智などを超えた,超越的な力のなせるわざだと強く信じている。自分が今スペインにいて,今日オジュエロスに来て,何回も見直した1973年の映画の撮影場所がそのまま残っていて,9月の穏やかな太陽があたりを包んでいる。アジア人の珍客にも「オラ」と声をかけてくれるオジュエロスの人々。昼飯を食べ損ねて腹を空かせてるのに辛抱強く待ってくれているタクシー運転手。美しく植えられた花。このようなことのすべてが,誰か,何かによって都合よく,うまく説明される日が永遠に来ないことを祈る。セゴビアの水道橋が崩れないことを祈るのと同じ強さで。


Palacio de Hoyuelos

ミツバチのささやき』でアナとイサベル一家が暮らしていた屋敷は,現在はPalacio de HoyuelosというCasa Ruralとして営業している。本当は宿泊してみたかったのだが,すでに予約が埋まっていたため,オーナーにメールで相談したところ,短時間の見学だけ許可してもらえた。Casa Ruralというのは貸切メインのユースホステルとかペンションみたいなものだということは訪問してから知った。ホテルと違って食事は宿泊者が自分で作らなければならないが(オジュエロスだと周囲にレストランもないし),部屋を自由に使える。スペインでは家族ぐるみで付き合いのある友人同士が週末に利用することが多いという。この屋敷は代々,とある一家が所有・管理していて,この映画の公開と同じ年の生まれの現在のオーナーは,祖父母や両親から,この映画の撮影当時のことも何度か聞いたことがあるそうだ。もっとも当時(今も撮影とはそういうものかもしれないが),撮影によって屋敷がしっちゃかめっちゃかになったそうで,たとえばおじいさんはあまり映画のことをよく思っていなかったかもしれない,とのこと。現オーナーはこの屋敷にとても愛着があるのに加え,『ミツバチのささやき』もよく見ていて,場面に則して屋敷のあちこちをとても丁寧に案内してくれた。

正面。

玄関から続く階段。

焚き火をした庭

いなくなったアナを母が呼ぶベランダ。

アナが外に向かって呼びかける窓(があったのと同じ場所にある窓)。

 ここでもオーナーから,「2年にひとりくらいのペースで,この映画がきっかけで知ったという日本人が訪れてくる。映画がきっかけで,というのは日本人だけ」,と聞く。自分もそのひとりだが,日本人シネフィルがスペインの片隅で民間伝承みたいに扱われているので笑ってしまう。 オーナーにお礼を伝え,タクシーでセゴビアに戻る。運転手は待っている間に村の人たちとおしゃべりをして,日本人がわざわざ現地を訪ねるほどの謎の映画について情報収集をしていたらしい。おしゃべりしていた村の人のうちひとりの奥さんが,『ミツバチのささやき』に出たそうだよ,と教えてくれた。当時子どもだったその人は,今60歳近いはずだ。運転手いわく,「さっきしゃべっていた村の人も以前その映画を見てみたが,とても『ストレンジ』な映画だと思ったそうだ」。『ミツバチのささやき』が「ストレンジ」という語彙と結び付かなくてつい笑ってしまったが,それももっともだと思い直す。他のどの映画とも似ていないからね,と返事をした。

「コ」の痕跡/『すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』

(※2019年11月の記録)

 

私たちは資本主義の世界を生きているらしく、その世界に出回っているキャラクターはすべて商業的な目的を持っている。そのため、素直になりきれない大人たちが、キャラクター商品などを見てこんなことを言ったりするのをときどき聞く。

「子供をダシにした商売!」(こんな口汚くないでしょうけど。)

だがその時、思い出してみて欲しいといつも思うのだが、キャラクターは子供にとって「商品」ではない。私たちや、もっと上の世代の人たちがウルトラマン仮面ライダーセーラームーンプリキュアやその他いろいろな子供向けキャラクター番組を見ていたとき、そのキャラクターたちは資本主義の論理とは無関係に、良いことと悪いこと、美しいことと愚かなこと、友愛と暴力に触れる機会を私たちに与えてくれていた。子供たちは、あるいはかつて子供だった私たちは、キャラクターたちに触れているとき、彼/彼女たちと同じ世界を生きている。

「すみっコぐらし」はそんなキャラクター「商品」の一つで、「リラックマ」などと同じサンエックスが展開している。「とんかつの脂身」や「ストローで吸いきれなかったタピオカ」といった、表舞台よりは部屋の隅っこでひっそりとしていた方が落ち着くような、一般的には「ネガティブ」と見られるような要素を抱えて健気に生きるキャラクターたちが揃っている。

さて、一つクリアにしておかなければいけない。「すみっコぐらし」の「コ」だけがカタカナで表記される点だ。ここには(「すみっコ」らしからぬ)大いなる謎があると考えるべきだと思う。しかし、ここでは単純に「コ」の字の形=部屋の角(かど)と理解してみようと思っている。つまり「コ」一字で「すみっコ」のエッセンスを付加しているのだ。

本作のタイトルが『すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』である理由もそこにある。「ひみつのこ」ではなく「ひみつのコ」でなければならない。なぜなら「コ」は「すみっコぐらし」の象徴であり、「コ」それ自体が「すみっコぐらし」の仲間であることを含意するからだ。

物語は、「すみっコぐらし」たちが喫茶店の倉庫で見つけた昔話の絵本の中に入り込み、そこで出会った迷子のキャラクター「ひよこ?」(ひよこに似ているが羽毛が灰色のため、「?」まで含めた名称)の帰るべき場所を、いくつかの昔話の舞台を行ったり来たりしながら一緒に探してやる、というものだ。「すみっコぐらし」に声は与えられず、物語はナレーターと、補足的に現れる文字で進んでいく。まずはこの決断が素晴らしい。「すみっコ」たちは自己主張もそれほどしないので、声がない方がむしろ自然に思えるし、ナレーターの声が完全に親が子に読み聞かせる調子を再現しているため、絵本というテーマとも合っている上に、あたたかい布団の中で面白い話を聞いているような心地よさが溢れる。

最終的に「ひよこ?」が帰る場所は見るものの予想を上回る、とてもあたたかい場所だ。エンドロールで原田知世の歌声に乗せて、「曇った窓ガラス 指で落書きした」という言葉が耳に流れ込んでくる。例えば、その指が覚えている場所。例えば、親が布団の中で聞かせてくれた、今はもう覚えていない物語。「ひよこ?」が帰ったのは、そんな場所だったと思う。窓の落書きは水滴が流れてすぐに見えなくなってしまうかもしれないけれど、それを書いたとき、そこには確かに一つの世界が立ち上がっていたということを、私たちの指は覚えている。「すみっコぐらし」たちが「すみっコ」らしからぬ大奮闘を通じて私たちに残すのは、そんな、今は消えてしまったかもしれない、またはどこか「すみっコ」で今もそっと息づいているかもしれない、小さな世界の痕跡だった。

12年ぶりのごあいさつ/TypistからTherapistへ

ご無沙汰しております。工藤です。
ふと、この十数年の間に誰も(文字通り「誰も」)読まなくなった「ブログ」というプラットフォーム、あるいはフォーマットだからこそ、今なら書けるというか、何か書いておきたい気がして、久しぶりにTypistよろしくパソコンに向かっています。

 

現状

さて、これまで僕は何をしてきて、今、何をしているのか。自分で整理する意味も含めて書いてみます。

某大学の「今は社会に存在しない文芸批評家によるゼミ」を卒業後、地方都市で印刷会社と映像制作会社で勤務したあと、家族の仕事に合わせて数年にわたり国外に滞在していました。
心理学への関心の深まりから、この四月からは大学院修士課程に進学が決まっており、臨床心理学をより専門的に学ぶ予定です。修士課程では心理臨床の研鑽とともに、ざっくり言うならば「映画鑑賞と心理療法」というテーマでの研究を計画してます。これについては後述します。
僕としてはTYPIST以降、はじめて映画の近くに戻ってくる感覚があり、ここでいったんここまでの自分の歩みを振り返っておきたいと思い、この記事を残すことにしました。

 

「TYPIST」とは何だったのか

「TYPIST」は僕が某大学在学中に数名の協力を得て刊行していたーー手作業で印刷して綴じただけのものをそう呼んでよければーー映画批評の同人誌です。主な内容はその大学の主な映画サークル合同による映画祭に出品された、学生による自主制作映画についての批評でした。

当時の僕は、自主制作映画のほとんどをつまらないものだと信じ、それを厳しい目で批評することによって、自分の周囲の学生映画の作り手たちにとってなんらかの刺激になるのでは、ということを、大変恐ろしいことに本気で、考えていました。
今、その当時の自分の気持ちを想像すると、次のようなことが浮かびます。まずは、自分自身の未成熟さを他の人の作品に投影して、それを否定することで、自分の未成熟な部分から目を逸らそうとしていた、と思います。
これと関連して、僕は自分でも高校生の頃から映画を作ってきたのですが、今思い返せばとても映画と呼べるような代物ではなく、自分が満足のいく作品を撮れない不全感を、他者の作品を批判することで麻痺させていたところもあると思います。そのため、他者の作品の瑕疵について、攻撃的であったり、皮肉な言い方で批判するような文章を書いていました。
これはいずれも僕の幼稚さや自信のなさ、臆病さによるものであり、今読み返すと、このように書くべきではないと感じる部分が山のようにあります。
また映画批評における先人たちの文体や言動に憧れ、模倣するような記述も多く見受けられ、自分が何者かでありたい、あらねば、という焦りもまた、東京で出会った「本物の映画好き(シネフィル)」たちや文化資本に圧倒されていた僕の中で、暴走していたと思います。
書いてしまったことはもう取り返しがつかないので、今もこれからも反省し続けるほかないのですが、とりわけ当時こうした僕の文章を読んで、自分が作ったり関わった作品について不当な表現で批評されたことで傷ついた方がいるということを、今、強く自覚しています。
また、このようなモチベーションで書かれた文章が読む人の心を固く閉ざしてしまうことも今ならばよく分かります。

 

TypistからTherapistへ

このようにやり方を大きく間違えていた僕の批評活動は、やがて僕自身ものろのろと自分の人生を生きていき、人と出会い、映画と直接的には関係のない仕事をし、考えることを通じて、上述した半端なモチベーションでは継続できなくなりました。というのも、端的に言って僕の問題意識はあまりにも狭すぎて、なおかつ自分のコンプレックスを否認する動機が強く、それを作品への批評という(僕の場合)間違った形で埋め合わせようとすることは虚しいと気づいたからです。こうして僕は自分の内なる問題に取り組み始めました。自分の心について考える方法として心理学を大学に編入し直して学び、親しい人たちの助けや、ときに臨床心理士によるカウンセリングを受けたりしながら、今に至ります。
最初に学部を出て以降の映画への関わり方は、映画館の少ない地方に移り住んだこともあり、かなり希薄になった時期もありました。その時期には映画業界とは関係のない会社員として日々に忙殺されていたのですが、大学時代からお世話になっている何人かの方にときどき声をかけていただいて、翻訳の協力や映画に関する記事を寄稿することが何度かあったこと、映画のオンライン配信サービスの普及、それと僕自身が映画との新しい関わり方を継続的に模索してきて、それでなんとかつながってきた、というところです。大学時代の半狂乱的な映画愛ではなく、より穏やかに、実感を伴うように、映画を見る喜びが体験できるようになったのはこうした経緯を経てのことでした。
この過程は、自分の映画に対する関心の背景について考える機会でもありました。僕は映画の可能性を最大限に引き出すには、観客にも働きかける必要があると考え、批評を学び、実践したいと思っていました。学生時代の失敗した批評活動も、この意味では根が通じています。でも社会的なコミュニケーションという文脈で見たとき、批評だけがその方法ではないのではないか、と考えるようになりました。今でもなお、映画の可能性を社会の中で最大限に引き出すには、という思いはあります。でもそのためには、映画を見ることが一人の観客の中でもつ意味について、もっと理解する必要がある、というのが今の考えです。

 

Therapistとしての映画

そして現在、僕は臨床心理学の道を歩み始めていますが、その背景には以下のような考えがあります。それは、一人の観客の主観的な体験の質について研究するには映画学/映画理論では限界があり、そうしたことを研究して、しかも社会に還元できる立場にある学問領域に実践的に関わる必要がある、というものです。
僕の成人前期を通じてのテーマは人間として変わること、そのために自分の抱えているコンプレックスに取り組むことでした。そしてそのためには、思春期を通じてとりわけ熱狂的に関わった映画と自分との関係について考えることが必要だと感じていました。
ここには「映画を見る体験における自己」と「自己の変化」という二つの関心の層があり、この二つの層をどちらもーー統合的にーー考えられるのが臨床心理学ではないか、というのが私の考えです。
僕が来年から大学院で研究するのはまさにこのことです。鑑賞する映画の世界に没頭しているとき、観客の心の中でどのようなことが起こっているのか。映画に心動かされるとき、それは一人の観客にとってどのような体験なのか。そうしたことは例えばセラピーの場面でクライエントに起こることと共通性があるのか、違うのか。
映画を見ることを「癒し」と結びつけることに、今でも微かな抵抗感があることは認めなければいけませんし、今でも、映画を見ていの一番の感想が「癒された」だったりするケースを見ると心のどこかでそれはなんか違うのでは、と思うことはあります。しかし事実として、映画を見ているとき、観客は心を動かしているのであり、それが何か観客自身に影響を与えていることまでは否定できず、それを仮に「映画の治癒性」と呼んでみることはできまいか、というのが僕の目論見です。
これに関して一つ考えていることは、映画に熱狂的に関わっていた思春期から、映画との関わりを「治癒」していった成人前期にかけてを振り返ると、僕は自分が映画を見て批評することによって成熟したとは到底思えず、むしろ不安定な自己と混沌の日々の中でも「映画を見ている時間だけはかろうじて」まともに考え、感じ、成長できていたのではないか、ということです。それは今でもそうで、心乱れ、目の前が暗くて動けそうにないときでも、映画を見ている間には不思議と心がすっきりとしていて、その感じは見終わってからも少しの間続く。映画を見ていたあの時間よ、お前だったのか、私を助けてくれていたのは。
実は学生時代のあるとき、とあるイベントで「TYPIST」を配布することを許可してくれた先輩から、「工藤くんがTYPISTなら俺はTYPISTで傷ついた人向けにTherapistでもやろうかな」と声をかけられたものですが、この冗談は僕の中にずっと残り、紆余曲折を経てこのような形で結実したのかもしれません。

 

今後について

ところで、映画と心理臨床はかけ離れたフィールドのようでいて、実は同じものを基盤にもちますーー光と影です。心のはたらきにおける影というテーマについては例えばユング派心理学が豊かな臨床的・理論的蓄積を有しており,さらにユング派にはイメージを重視する態度がある点も、映画鑑賞という行為との接点を感じさせるものがあります。こうした知見を映画を見る体験へと向け直すとどのようなことが考えられるだろうか。そんなことを研究していきたいと考えているところです。

この先、ときどき研究の合間で連想した映画と心の回路について、何かぽつぽつと書くことがあるかもしれない、と今は思っているつもりですが、まだまだ書けなくてまた十年ほど沈黙してしまうかもしれません。そのときにも、もしもまだ「ブログ」という場が残っていたら、ここにまた戻ってきたいですが。

MIRAGE三号発売中

早稲田大学文学部演劇映像コースの有志による批評誌、『MIRAGE』の三号が発売中です。

http://cinemirage.hostoi.com/?p=184

「ライブする映画 映画の環境」という二大特集で、しかも四方田犬彦氏、長谷正人氏、市山尚三氏という名前もならんでいるのに300円というご奉仕価格。粛々と映画批評誌業界の価格破壊を推し進めているようです。

学生たちによる論考も力強く並んでいます。

前号に続いて私も寄稿させていただきました。

今回は、映像を見て感じる、「私もそこにいたい」という感覚、またの名を「聖地巡礼」という現象と、映像との関係について考えました。「インターネット上の映像を見ることが、映画を見ることと同じ効果を生むことはできるんじゃないか」というような考えについて仮説的に書こうとしています。

映画とインターネット上の映像が質的に同じということはまあないはずですけど、それでも、映画とそれ以外の世に溢れまくっている映像とをどう関わらせ、あるいは区別していくのかということは、あくまでも(僕の動機としては)これからの映画のことを考える過程として避けては通れないと思いつつ書いていました。

この題材についてはこの先、もっと精度を上げて書き継ぎたいと思っているのですが。

繰り返しますが300円です!ぜひお買い求めいただけたら幸いです!

『MIRAGE』第2号販売開始

早稲田大学の学生有志の方たちが編集・発行している映画批評誌『MIRAGE』の第2号が発売されています。
私は王兵(の、主にBrutality Factory)について論じた文章を寄稿いたしました。

http://cinemirage.co.cc/2011/03/11/%E6%98%A0%E7%94%BB%E6%89%B9%E8%A9%95mirage-%E4%BA%8C%E5%8F%B7%E5%88%8A%E8%A1%8C/
(↑こちらから購入できます。)
早稲田大学の生協(他大学にも順次配本予定)、早稲田大学戸山図書館にも置いてあるとのこと。
http://wine.wul.waseda.ac.jp/search*jpn/t?SEARCH=Mirage+%3A+%E6%98%A0%E7%94%BB%E6%89%B9%E8%A9%95


私の原稿の内容について簡単に概要に触れると、王兵の映画にしばしば現れる「入口」というモティーフが、これまでの作品の中でどのような機能を果たしていたか、という視点から、マイケル・フリードの「演劇性」の議論を経由して、映画の「自生性」(ダイ・ヴォーン)と観る者の知覚の問題へと接続しようとしました。
……分かりにくいですね(笑)。

一言で言えば、〈王兵のフィクション作品ってなんか変だけど、それはなんでだろう?〉という問いについて、まとまった考察をしている感じです。

他の記事も充実してます。
アブラクサスの祭』の加藤直輝監督へのインタヴュー、フィルムセンター主任研究員の岡田秀則氏へのインタヴューなど、貴重な記事だと思います。

よろしければぜひお手に取ってみて下さい。