ex-TYPIST

元TYPIST,現Therapist(予定)

12年ぶりのごあいさつ/TypistからTherapistへ

ご無沙汰しております。工藤です。
ふと、この十数年の間に誰も(文字通り「誰も」)読まなくなった「ブログ」というプラットフォーム、あるいはフォーマットだからこそ、今なら書けるというか、何か書いておきたい気がして、久しぶりにTypistよろしくパソコンに向かっています。

 

現状

さて、これまで僕は何をしてきて、今、何をしているのか。自分で整理する意味も含めて書いてみます。

某大学の「今は社会に存在しない文芸批評家によるゼミ」を卒業後、地方都市で印刷会社と映像制作会社で勤務したあと、家族の仕事に合わせて数年にわたり国外に滞在していました。
心理学への関心の深まりから、この四月からは大学院修士課程に進学が決まっており、臨床心理学をより専門的に学ぶ予定です。修士課程では心理臨床の研鑽とともに、ざっくり言うならば「映画鑑賞と心理療法」というテーマでの研究を計画してます。これについては後述します。
僕としてはTYPIST以降、はじめて映画の近くに戻ってくる感覚があり、ここでいったんここまでの自分の歩みを振り返っておきたいと思い、この記事を残すことにしました。

 

「TYPIST」とは何だったのか

「TYPIST」は僕が某大学在学中に数名の協力を得て刊行していたーー手作業で印刷して綴じただけのものをそう呼んでよければーー映画批評の同人誌です。主な内容はその大学の主な映画サークル合同による映画祭に出品された、学生による自主制作映画についての批評でした。

当時の僕は、自主制作映画のほとんどをつまらないものだと信じ、それを厳しい目で批評することによって、自分の周囲の学生映画の作り手たちにとってなんらかの刺激になるのでは、ということを、大変恐ろしいことに本気で、考えていました。
今、その当時の自分の気持ちを想像すると、次のようなことが浮かびます。まずは、自分自身の未成熟さを他の人の作品に投影して、それを否定することで、自分の未成熟な部分から目を逸らそうとしていた、と思います。
これと関連して、僕は自分でも高校生の頃から映画を作ってきたのですが、今思い返せばとても映画と呼べるような代物ではなく、自分が満足のいく作品を撮れない不全感を、他者の作品を批判することで麻痺させていたところもあると思います。そのため、他者の作品の瑕疵について、攻撃的であったり、皮肉な言い方で批判するような文章を書いていました。
これはいずれも僕の幼稚さや自信のなさ、臆病さによるものであり、今読み返すと、このように書くべきではないと感じる部分が山のようにあります。
また映画批評における先人たちの文体や言動に憧れ、模倣するような記述も多く見受けられ、自分が何者かでありたい、あらねば、という焦りもまた、東京で出会った「本物の映画好き(シネフィル)」たちや文化資本に圧倒されていた僕の中で、暴走していたと思います。
書いてしまったことはもう取り返しがつかないので、今もこれからも反省し続けるほかないのですが、とりわけ当時こうした僕の文章を読んで、自分が作ったり関わった作品について不当な表現で批評されたことで傷ついた方がいるということを、今、強く自覚しています。
また、このようなモチベーションで書かれた文章が読む人の心を固く閉ざしてしまうことも今ならばよく分かります。

 

TypistからTherapistへ

このようにやり方を大きく間違えていた僕の批評活動は、やがて僕自身ものろのろと自分の人生を生きていき、人と出会い、映画と直接的には関係のない仕事をし、考えることを通じて、上述した半端なモチベーションでは継続できなくなりました。というのも、端的に言って僕の問題意識はあまりにも狭すぎて、なおかつ自分のコンプレックスを否認する動機が強く、それを作品への批評という(僕の場合)間違った形で埋め合わせようとすることは虚しいと気づいたからです。こうして僕は自分の内なる問題に取り組み始めました。自分の心について考える方法として心理学を大学に編入し直して学び、親しい人たちの助けや、ときに臨床心理士によるカウンセリングを受けたりしながら、今に至ります。
最初に学部を出て以降の映画への関わり方は、映画館の少ない地方に移り住んだこともあり、かなり希薄になった時期もありました。その時期には映画業界とは関係のない会社員として日々に忙殺されていたのですが、大学時代からお世話になっている何人かの方にときどき声をかけていただいて、翻訳の協力や映画に関する記事を寄稿することが何度かあったこと、映画のオンライン配信サービスの普及、それと僕自身が映画との新しい関わり方を継続的に模索してきて、それでなんとかつながってきた、というところです。大学時代の半狂乱的な映画愛ではなく、より穏やかに、実感を伴うように、映画を見る喜びが体験できるようになったのはこうした経緯を経てのことでした。
この過程は、自分の映画に対する関心の背景について考える機会でもありました。僕は映画の可能性を最大限に引き出すには、観客にも働きかける必要があると考え、批評を学び、実践したいと思っていました。学生時代の失敗した批評活動も、この意味では根が通じています。でも社会的なコミュニケーションという文脈で見たとき、批評だけがその方法ではないのではないか、と考えるようになりました。今でもなお、映画の可能性を社会の中で最大限に引き出すには、という思いはあります。でもそのためには、映画を見ることが一人の観客の中でもつ意味について、もっと理解する必要がある、というのが今の考えです。

 

Therapistとしての映画

そして現在、僕は臨床心理学の道を歩み始めていますが、その背景には以下のような考えがあります。それは、一人の観客の主観的な体験の質について研究するには映画学/映画理論では限界があり、そうしたことを研究して、しかも社会に還元できる立場にある学問領域に実践的に関わる必要がある、というものです。
僕の成人前期を通じてのテーマは人間として変わること、そのために自分の抱えているコンプレックスに取り組むことでした。そしてそのためには、思春期を通じてとりわけ熱狂的に関わった映画と自分との関係について考えることが必要だと感じていました。
ここには「映画を見る体験における自己」と「自己の変化」という二つの関心の層があり、この二つの層をどちらもーー統合的にーー考えられるのが臨床心理学ではないか、というのが私の考えです。
僕が来年から大学院で研究するのはまさにこのことです。鑑賞する映画の世界に没頭しているとき、観客の心の中でどのようなことが起こっているのか。映画に心動かされるとき、それは一人の観客にとってどのような体験なのか。そうしたことは例えばセラピーの場面でクライエントに起こることと共通性があるのか、違うのか。
映画を見ることを「癒し」と結びつけることに、今でも微かな抵抗感があることは認めなければいけませんし、今でも、映画を見ていの一番の感想が「癒された」だったりするケースを見ると心のどこかでそれはなんか違うのでは、と思うことはあります。しかし事実として、映画を見ているとき、観客は心を動かしているのであり、それが何か観客自身に影響を与えていることまでは否定できず、それを仮に「映画の治癒性」と呼んでみることはできまいか、というのが僕の目論見です。
これに関して一つ考えていることは、映画に熱狂的に関わっていた思春期から、映画との関わりを「治癒」していった成人前期にかけてを振り返ると、僕は自分が映画を見て批評することによって成熟したとは到底思えず、むしろ不安定な自己と混沌の日々の中でも「映画を見ている時間だけはかろうじて」まともに考え、感じ、成長できていたのではないか、ということです。それは今でもそうで、心乱れ、目の前が暗くて動けそうにないときでも、映画を見ている間には不思議と心がすっきりとしていて、その感じは見終わってからも少しの間続く。映画を見ていたあの時間よ、お前だったのか、私を助けてくれていたのは。
実は学生時代のあるとき、とあるイベントで「TYPIST」を配布することを許可してくれた先輩から、「工藤くんがTYPISTなら俺はTYPISTで傷ついた人向けにTherapistでもやろうかな」と声をかけられたものですが、この冗談は僕の中にずっと残り、紆余曲折を経てこのような形で結実したのかもしれません。

 

今後について

ところで、映画と心理臨床はかけ離れたフィールドのようでいて、実は同じものを基盤にもちますーー光と影です。心のはたらきにおける影というテーマについては例えばユング派心理学が豊かな臨床的・理論的蓄積を有しており,さらにユング派にはイメージを重視する態度がある点も、映画鑑賞という行為との接点を感じさせるものがあります。こうした知見を映画を見る体験へと向け直すとどのようなことが考えられるだろうか。そんなことを研究していきたいと考えているところです。

この先、ときどき研究の合間で連想した映画と心の回路について、何かぽつぽつと書くことがあるかもしれない、と今は思っているつもりですが、まだまだ書けなくてまた十年ほど沈黙してしまうかもしれません。そのときにも、もしもまだ「ブログ」という場が残っていたら、ここにまた戻ってきたいですが。